「結婚が幸せとは限らない」と結婚して(いまのところ)幸せなぼくは主張し続ける

「結婚が幸せとは限らない」と結婚して(いまのところ)幸せなぼくは主張し続ける

結婚して来年の3月で4年になる。

「幸せですか?」と聞かれれば、即答でぼくは「幸せです」と答えられる。

 

ただ、それは「結婚したから幸せ」なのか?

 

そうは思ったことがない。

赤の他人と、これまでの慣習に従って苗字を変え、生活を共にすることそのものが幸せとは限らない。

結婚するというと、幸せにするだの幸せにしてもらうだのと、他人への依存が強い発言をする人もいるが、ぼくはそれでは人は幸せにはなれないと思っている。

 

ぼくは妻のことを幸せにすることはできないし、妻もぼくのことを幸せにすることは不可能だ。

 

男なら「あいつのことを幸せにしてやろう」なんて思ってはいけない。

他人を幸せにすることなんて不可能だ。

同じように「幸せにしてもらおう」というスタンスの女性をパートナーに選んではいけない。

自分が幸せになることを他人や物事に依存するような人は、どんなにこちらが望みを叶えても幸せを感じることはない。

よく観察すべきだ。

自分が、もしくは相手が、結婚そのものに幸せを求めるようなら、幸せにはなれない。

結婚しただけで勝手に幸せを感じるのは、はじめの1年間だけ

結婚で幸せを感じる瞬間はいつだろうか?

プロポーズをして、受け入れてもらったとき?

婚姻届を出した日?

結婚式当日?

たしかに、「結婚」という決断をきっかけに、幸せを感じる瞬間が訪れる回数は増えるかもしれない。

 

ただ、それもほんの一瞬だ。

 

問題はその後、

式を挙げ、新婚旅行も済ませ、その後、夫婦が「これが幸せだ!」と感じる瞬間はあるだろうか?

 

はっきりいって、結婚初年度以上の感情が高ぶるような幸せを感じることは一生ないと言い切っていい。

 

結婚して1年間は、慣習じみたイベントをこなすだけで「結婚した感」に満たされて、幸せを感じるだろう。

 

それがひと通り終わった後は?

 

結婚を通して、自分の身の回りでおこるイベントに一時の幸せを感じることはたしかだ。

ただそれは、独身だった自分が夫婦になる、赤の他人だった相手と生活を共にすることになるという「非日常感」に刺激を感じているだけだ。

その刺激による興奮は、新婚旅行を終えた頃にはどこかに去っていってしまっている。

「非日常感」がなくなる結婚2年目以降、幸せを感じることができるか?

あからさまな「非日常感」のあるイベントたちを全て終えた後、結婚した夫婦が幸せを感じる瞬間はあるだろうか?

結論からいえば、そんな瞬間は2度と訪れない。

はじめの1年間ほどの浮き足立った幸せを感じることなんて、もうない。

子供が生まれたらなおさらだ。浮き足立ってる場合じゃない。

 

ここから先は、日常のささいな瞬間に、自分自身が幸せを感じられる感度を持っているかにかかっている。

どんなにいいことがあっても、どんなにパートナーに感謝すべき瞬間があったとしても、自分自身にそれを感じ取る力がなければ、結婚生活に幸せを感じることは一生訪れない。

 

結婚2年目以降に感じる幸せの中に、いままでの非日常的なだれにでも目に見えてわかるような、おおきなインパクトはない。

だから、簡単に見逃してしまうこともできる。

目の前で起こっている物事への解釈の違いひとつで、幸せを感じる人もいれば、なにひとつ感じない人もいるのだ。

幸せに対する感度が低い人間は、これに気づくこともできないし、物事への解釈もすべてネガティヴになる。

こんな状態で、結婚はおろか、日常に幸せを感じることなんて不可能だ。

結婚して幸せでいられる人は、結婚しなくても幸せでいられる

結婚そのものが幸せになるための手段とはいえない。

結婚という手段を自分の人生で選択したことに対して、幸せを感じるだけの感度を持ち合わせているか?

結婚した後の生活の良し悪しに幸せだという解釈をすることができるか?

このふたつができる人であれば、結婚して幸せになれるだろう。

もっといえば、こういう人はたとえ一生結婚することがなくても、幸せに過ごすことができる。

 

幸せは、何かに依存して感じるものじゃない。

だから「結婚」という行為に、「幸せ」を結びつけてはいけない。

結婚して幸せになれるかどうかは、自分自身の物事への解釈で決まるんだ。

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