労働基準が厳しくなればなるほど、格差は激しくなるしそれでいい

労働基準が厳しくなればなるほど、格差は激しくなるしそれでいい

『働き方改革』というものに、ぼくはちょっと(いやじつはけっこう)迷惑さを感じていた。

たしかに法外な労働時間で労働させたり、割りに合わない低賃金で働かされている事実があるのなら、それは然るべき対応が必要なのだろう。

正直、ぼく自身がそういったところで働いた経験もないので、今回ここで書いていくことは「無責任」「世間知らず」と批判されかねない。

ただ、ぼくと同じようなことを考えている人は少なからずいるようだ。

労働基準が厳しくなるほど、格差は激しくなる

従業員が国の定めた労働基準をきちんと守って働くことで、収入格差はどんどん激しくなる。

ぼくはそう予想している。

理由はこうだ。

  • 労働時間の絶対量が少なくなる分、これまでの従業員のようなスキルの向上は見込めなくなる
  • 人が働けない分、作業を機械化させるので人件費にお金を割かなくなる
  • 労働時間内で最大の費用対効果を出せる、スキルのある人間により多くの人件費を割くようになる

雑な言い方をすれば、今後の雇用は

「働いてもらえる時間に上限があるなら、そんなの気にしなくていい機械にお金をかけて仕事を任せて、人件費は高いお金払ってでもうちの組織にいてほしいハイスペックな人にたくさん使いたい」

という流れになるだろうということだ。

雇われる側からしたらたまったもんじゃないのかもしれないが、雇う側の立場として考えてみたら、こうすることが自然じゃないだろうか?もしくは、ぼくが薄情すぎるのだろうか?

つまり、高いお金払ってでもうちの組織にいてほしい!というハイスペックな能力を兼ね備えてでもいない限り、 これまでのようなひとつの組織に正規雇用されて、そこ一本で働いてさえすれば、そこそこいい生活ができるなんてことは夢物語になるのだ。

 

(眠いので後日加筆予定…)

 

ぼくのこうした価値観が「古い」というくくりにされてしまうことがとっても残念なのだが、はたして本当に「古い」のだろうか?

組織や社会に貢献している順に、多くの対価を得ることに新しいも古いもないと思っているのだけど。

もし古いとしても、古い価値観を捨てることで、ぼくたちはこれ以上豊かになれるのだろうか?

 

なんてことを考えることもあるのだけれど。

解釈を変えると、これからの時代は「受け身になって生きていると豊かさに限界がくるのがこれまで以上に早い」ということだ。

自分で考えてやった分だけ評価されやすい時代になる、ともいえる。

勉強して努力して正しい行動をしただけ、きちんと跳ね返ってくる。

そう考えたら、最高の時代じゃないか。

 

令和は、ほんとうの意味での公平な時代になるのかもしれない。

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